vol.05
第5回目の対談は、通天閣観光株式会社代表取締役社長の高井隆光さんです。
収益性が落ちていた通天閣をどのように復活させたのか。大阪出身のふたりが、アイデアと行動力、それに感性がビジネスに与える影響をざっくばらんに話しています。
scroll
通天閣観光株式会社 代表取締役社長 高井隆光氏
50周年の2005年に副社長に就任。
2019年に代表取締役社長に就任。
通天閣ビリケンさんなど様々な企画を打ち出し、入場者数が減少していた通天閣の集客力アップに尽力。2012年には53年ぶりに130万人の来場者数を実現した。
6億円をかけた耐震補強工事を行うなど、安全面も考慮した大型プロジェクトなども手がける。
河内
私は25歳で創業、高井さんも20代半ばでお祖父さまが経営しておられた通天閣観光に入社し、その後副社長を経て社長に就任。現在ふたりとも40代半ばと、日頃から近しい感覚を抱いています。高井さんは、大阪のランドマークとしての通天閣を復興された立役者といえますよね。
高井
私はお膝元の新世界で生まれ育ち、ずっと身近にあった通天閣がすでに還暦を超えたことに感慨深さを感じます。
「初代」通天閣は1912(明治45)年、当時日本一の高さ、75mの塔として誕生しました。1912(明治45)年には新しい歓楽街「新世界」が誕生します。この大阪新名所に日本初のテーマパーク「ルナパーク」がつくられ、そのシンボルが初代通天閣でした。
河内
いわゆる「大大阪時代」到来の象徴で、大賑わいだった通天閣も、第二次世界大戦と戦後復興という大きな渦に巻き込まれたそうですね。
高井
1943(昭和18)年には近隣の火災に巻き込まれました。戦争中には鉄骨資材が不足していたために、解体の憂き目にもあっています。
戦後、再建話が持ち上がっては消える中、地域の方々が尽力してくださり、1956(昭和31)年に「二代目」通天閣が完成しました。
その後、大阪の人におなじみのネオンサインも完成し、1957年度には過去最高の155万人の入場者を記録しましたが、さまざまな理由で利用客が減少し、観光客が20万人を割った1970年代には身売りも検討されるほど経営難に陥りました。
河内
つらい時期でしたね。
高井
いろいろな苦難はありましたが、それらがあったからこそ、アイデアを活かすことの重要性や日本人だけでなく、外国人を呼び込もう、という発想につながってきています。
河内
通天閣は大阪の栄枯盛衰とともに立ち続けてきたんですね。1996年に放送されたNHKの連続テレビ小説「ふたりっ子」の舞台になったのを機に入場者が増加したとか。2005年に高井さんが経営に参画して、通天閣の展望台に幸運の神様「ビリケン像」を置くなど、さまざまなV字回復への工夫をこらされたことが大きいと思います。
高井
2012年度には53年ぶりに130万人を超え、現在も100万人以上の入場者数をキープしています。
河内
私は、自分自身だけでなく、お客様と、お店に来られるエンドユーザーの方と、みなが「わくわく」する仕事をしたいと10年以上走り続けてきました。高井さんも大阪一、「わくわく」する仕事をしておられますね。
高井
地元の方の熱い想いを絶やすわけにはいきませんし、私自身、やるなら「得意なことでわくわくしたい」と思ったのです。
コンテンツはたくさんあるのですから、どう広げていくか、どう関心をもってもらうか。半歩ずつでなく、1歩踏み込んだ経営が必要でした。
2013年、地階に江崎グリコさんなどが出店するアンテナショップ「通天閣わくわくランド」をオープンし、ここでしか買えない大阪土産をたくさんつくりました。
初代通天閣に描かれていた天井画も復刻しましたし、2015年には、展望台のさらに上の部分に「天望パラダイス」という新たな屋外型展望台を設置しました。
河内
高井さんとの初めてのお会いしたのは、内装をリニューアルした時でしたね。
通天閣という「商業空間」をビジネスとしてうまく使っていく、そのアイデア力、実行力が素晴らしいと感じています。
その秘訣は何なのですか。
高井
徹底的にやりきることだと思います。
「万人受け」を狙わない。万人に受けるものは、実は印象に残らないのではないでしょうか。ひと目で、ここしかないとわかる空間にしたい。
knotさんには期待以上のプラスαを提案していただけるので、どんどんアイデアが具現化できます。なんといってもknotさんの強みはスピード感だと思いますね。
1ヶ月かかるところを数日で答えを出す。そんなスピーディーな流れを、これからも大切にしていきたいです。
河内
私も空間デザインにおいて「やりきった」感を大切にしています。
単にキレイなだけでは成功でなくて、心に響かなくてはだめだということです。
それこそが空間に「価値」を与えることではないでしょうか。
高井
同感です。調和のバランスだけを考えるのではなくて、「違和感」を残すことがいいと思うんです。大阪にこられた人が通天閣へ登り、思い出に残る何かをもって帰っていただく。
面白さが意識に残り、心にひびく施設づくりとは、いかに「物語」をつくるかではないでしょうか。
河内
「違和感との調和」。素晴らしい感性ですね。すごくピンとくる言葉です。物語には全体の調和が必要だと思いますが、それだけではつまらない。そこにあえて違和感を持たせて、それを全体と調和させることが、来場者にとっての驚きや楽しさにつながるのですね。
高井
私の仕事は、通天閣という商業空間をいかにプロデュースするかです。それがビジネスとなり、収益をうみだすことになるのですから。
河内
現在弊社ではknotR事業という、築年が経過した建物のリモデル(再構築)提案を行っていますが、常に社員にも、建物にストーリーを持たせて収益をうみだす提案をするように言っています。
建物を持っているクライアントに代わって、建物をプロデュースすることがわれわれの役目だと思っているからです。
高井
老朽化した建物を後世にどう残すか、次世代にどう引き継ぐかということが建物やビルを持つ事業主にとってはとても重要なことですからね。
通天閣はすでに62歳ですが、2015年には約6億円をかけて建物を免震構造化して建物の寿命を伸ばしました。時代に応じて改修や改装をしつつも、常に「成長を表すモニュメント」でありたいと思っているんです。頭を常に柔らかくしないとこの先事業は伸ばせません。今まで中層階を使っていなかったので、今度はそこに日本庭園をつくってみようかと考えているところです。こんなところに庭園が?という意外性を残したい。通天閣には、まだまだ成長の余地があります。
河内
歴史のある建物を管理・維持する高井さんが「成長余力が大きい」とおっしゃるのですから、そのビジネスセンスには感服してしまいます。
すでに立っている建物の立地条件は動かしようがありませんが、その建物のポテンシャルを見極め、時にはコンバージョン(用途転換)をしたりしながら収益性の向上に取り組むことがわれわれの使命だと思っています。
高井
アイデアや発想、行動力、エネルギー。われわれにしかできないことを、これからも共に力を携えてやっていきましょう。
河内
立場の違いはありますが、建物をプロデューサーとしてみながら新しい価値をうみ出していくのと同時に、事業も組みたてていく。そんな共通点が私たちにはありますね。みなが楽しめる、遊び心のある空間をこれからもつくっていきましょう。
取材協力:TSUTENKAKU TOWER(通天閣:大阪市浪速区)
What's your next?